ある意味で無個性になっていく気がする成功者の世界
ビジネス書というのは正直あまり好きではない。
成功した人間がその秘訣やノウハウを提供しているのだが、それが出来なければ成功できないのか?幸せになれないのかというのは別の話だと思うからだ。
基本ビジネス書はポジティブな人間がポジティブな事を書いて売られている。
前向きであることを求められ、質の高い生活を求められる。
もちろん、ネガティブなものが売れるのかといわれたら、無理だろうからポジティブな物となるのは仕方ない。
ただ、そのノリについていけない人間はどうしたらいいのか?その答えは一切ない。
この気持ち悪さは何かな?と思ったら、好き好き言ってるだけのラブソングと同じ感じで、ついていけない人間にとっては違和感しか感じられない点でも同じ。
判で突いたような、似たような人間をつくろうとするかのような、そんな成功体験とノウハウは、ちょっとドロップアウトしかけの人間にとっては、受け入れ難さを感じてしまいます。
情報化社会が進んだ先にあったのは多様性だと思う
インターネットの普及でいろいろな情報にリアルタイムにアクセスできるようになって、普通というのがある意味で幻想になってしまったのが現在だと思う。
ラジオやテレビや雑誌、新聞しかメディアが無い状態でしたら、何らかの意図を元に情報が発信させられるので、限りある選択肢の中から選ばざるを得なかったと思うが、今はそんなことはない。
有名無名問わず、極論すればただの会社員のファンである事も出来るし、それを好きだと公言する事が出来る。そんな多様な世界なので人の生き方も様々です。
ちゃんと大学を出ないと幸せになれない事は一切無いですし、そうやって勉学に追い込まれてしまった結果、社会人になってから損をしたり後悔したことの方が多いです。
様々な生き方を選択できる時代になって、均一化を推し進めるグローバリゼーションであったり、それに対抗する為にスピード感を持ってポジティブに生きていかないといけないというビジネス書に対して、違和感を感じざるを得ない。
それだけが選択肢なのだろうか?それ以外は不幸なのか?
ポジティブが全てなのか?ネガティブな成功者はいないのか?
疑問に思うし心に引っ掛かりができてしまう。
まずは自分を肯定する事の大切さ
「こうあるべき」という成功者の作り出す基準で考えると、ギリギリのラインですら満たす事が出来ず、ほとんどの人はそこからドロップアウトしてしまうのではないでしょうか?
そこからほど遠い人からすれば、時には劣等感やトラウマを呼び起こされて、気持ちが逆に萎えてしまったり、自己嫌悪や自己否定につながってしまう事もあるでしょう。
そういう意味では、まずは自分自身を肯定し自分が生きやすい所から始めるべきかと思います。
「努力せず楽しく生きる方法とは?不安や悩みから逃避して楽しい人生を」という記事がありますが、まさにこの通りで時には逃げることも大事な事です。
戦えないのに退路を断たれるから、ビジネス書に書いていることがつらく感じてしまうのであって、自分を知り時には一歩二歩下がった所から始めたり、一時的に逃避するのも良いのではないかと思います。
不完全な自分を認め、そこからできることをやっていくことの方が、いきなり高みを目指して挫折をし立ち直れなくなるよりは良いのではないでしょうか?