本当の言葉はすべてを脱ぎ捨てた自分の中にある 「SONOWATA」

語ってみた  2016年11月19日  Ritchy  463 views

どこか他人を意識してしまうSNSは疲れませんか?

リア充御用達のSNSとしてFacebookが挙げられますが、実際にFacebookで何かを書こうかな?って思うと、周りの目が気になってついつい思ってもいないことを書いてみたり、逆に思っていることを素直に書くことができずに、思わず画面を閉じてしまったりしたことはないでしょうか?

特に実名制のFacebookはSNS疲れを起こしやすいといわれていますが、その理由として実名+友達しかいない場であることが、逆に自分の表現や想いにふたをしてしまうことになってしまいます。
自分をうまく演出しようとできる人であれば、自分の気持ちを綺麗に整えて出すこともできるでしょうが、そういったテクニックもなければ、拙い自分の言葉で届けられるものがあるのかと気も引けることでしょう。

技術もそうですし、内容もそう、他人の目を意識して書くことは制約も気持ちのつかえも出てきます。SNSに疲れたりするのはそういった窮屈な中で反応が無かったり、想定もしていなかったツッコミに面倒な部分を感じてしまう事からではないでしょうか?

気楽に書き捨てるサービスというのは意外とありません

様々なコンテンツを提供する際に、基本的にはコミュニケーションというのは外せないです。コミュニケーションが多いという事はそのサービスを利用している時間が増えるということですので、一般的なサービスの多くは、いかにコミュニケーションをさせるかに重点を置いて機能が作られています。

なので、今の自分の気持ちを世の中に投げつけたり、思うことを書いてみたり、感動を言葉にならない言葉で記したりというのは、自分のノートやパソコンの中にしか書くことができないのというのが現状でしょう。
匿名性の強いTwitterですら、軽々しく書いたことが炎上して大きなストレスになるという事すらあります。まして日常の使っているSNSやブログなどでは人間関係自体が崩壊しかねません。

そういった意味で「SONOWATA」というサービスは、自分のその時の思いを記録して、最低限のコミュニケーションのみを受信するという意味で、ストレスなく利用できると思います。

「SONOWATA」というサービスの良い所

日記やブログのように「SONOWATA」というサービスは使えます。ですが、あなたが書いたものを一連の時系列でみることができるのはあなただけです。
外部から閲覧しようとすると、あなたが書いた思いの1ページのみにアクセスされます。そこから先は著者で紐づけられたりしていないので、他の記事を見られることはないですし、そもそもがランダムで表示されたリストの中からしか、あなたのページにはいけないです。

ネットサービスでありながらやれることは限られていますし、記事に対しての評価というのも最低限しかつけられないです。
上から目線のコメントや的の外れた反論、本当に思っているのか分からない他人の感謝や感動からは完全に解き放たれたサービスです。

ブログやSNSはやりたいけれど…やっていたけど疲れたという人は、もう一度「SONOWATA」に戻ってみるのも良いのではないでしょうか?

僕たちはただ感じたことを思いのまま書いていたいのだ

宗教の事、政治の事、日常の憤りから、美しい事や汚いこと…とにかくなんでもいい普段の気持ちを記録していきたいと人は思う。できる事ならネットに残したいとか、評価もされたいという、ちょっとした功名心やプライドもある。
でも、他人の目は気になるし長文で書かれるような批判や意見、コメントも欲しくない。
そんな普通の人の普通な気持ちに沿ったものとして、「SONOWATA」というサービスはあるのだと思います。
常々思うのですが、「ポジティブであれ」とか、「恋愛を楽しもう」とか、押し付けられた価値観でサービスって作られています。そういったものに反する部分でもニーズというのは絶対にあると思います。
正直、更新している風に見せるぐらいでしか使っていないFacebookやブログっていうのは全然気持ちがこもっていないですし、作業に近いことが多いです。

SNSって他の人がどういう風に活用しているのか分からないのですが、自分にとっては何一つ思うままに書ける場所ではないし、綺麗に書いていても過剰な脚色が入ったりして、そこに全く自分がいないなと感じます。
自分の周りにある煩わしいものを脱ぎ捨てて、感じたものを素直に書ける場所として「SONOWATA」のようなサービスが発展していけばよいなと思います。

「SONOWATA」

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