多くの人種が混交して出来ているブラジル

ブラジル文化  2002年11月6日  Ritchy  4,754 views

他地域とブラジル先住民との違い

大航海時代における、アメリカ大陸の異文化との接触においてブラジルは特異な状況にあった。インカ帝国のように高度な文明を保持した国はその文化への反発から壊滅され、何もない状態から文化を植え付ける作業を行われたが、ブラジルの先住民インディオは十分な文明を持っていないと認識されたことによって、文化の壊滅的な破壊を免れることになった。マンジョウカ芋に代表されるようなインディオの文化が、今日でも残るのはこのためである。ポルトガルの文化をサポートする位置にインディオの文化があったのだ。しかし、今日まで伝わるべきはずの、インディオのシャーマンが用いる薬草などの知識は一般化しなかった。宗教的な部分があるシャーマンの地位はポルトガル人によって剥奪され、インディオが持つ自然と人間との友好的な関係が崩壊することになった。

インディオの一夫多妻の習慣が混血を推し進める事に

ジョゼー・デ・アレンカールが記したセアラーの伝承「イラセマ」に記されたように、ブラジル人は混血によって生まれたのだといわれている。ブラジル人が混血によって誕生した原因は、ポルトガルが植民の際に女性を連れてこなかったことに起因する。また、純真なインディオがかつてのヨーロッパ人のように、旅人への好意として女性が体をささげるという習慣があったためでもあり、また性行為に対する感覚も白人とは違っていた。インディオのもつ純真さに対して、ポルトガル植民は邪心に満ちていた。何より、初期のポルトガル植民に犯罪者や追放者、冒険家などのごろつきが多かったのである。当初は一時の肉体関係のみであったが、広大な大地を征服するためにポルトガル王朝が混血を推進したこともあり、インディオの一夫多妻の習慣はポルトガル植民にすぐに受け入れられインディオの女性は性的な搾取の対象となった。この悪習はイエズス会が介入するまで続けられていた。そのために多くの混血が生まれ、ジルベルト・フレイレがブラジル的家族の母としてインディオを挙げる要因となったのだ。

インディオの女性が残したブラジル先住民の文化

狩猟で生活をするインディオが持つ経済観念は、先進社会ではとうてい通用しないものであった。そのため、プランテーションにおいてインディオの男性は十分に機能しなかった。これは、後に黒人が奴隷として投入される一因となった。しかし、インディオの男性は戦士や狩人、倉庫番、案内人、カヌー漕ぎとして力を発揮し、植民地防衛の要として白人と共に戦った。一方でインディオの女性は働き者で、プランテーションにおいては男性よりも働いた。インディオの女性が炊事や育児を行ったことで、そこからマンジョウカ芋のような文化がポルトガル人に伝わったのだ。インディオの影響は言語まで及び、鳥や植物の名前など、様々なものにインディオの影響が残されている。

それぞれ言葉が違うインディオを統率するためにポルトガル人は人工の言語を作り、教育を施すために教会はインディオの子どもを森から連れてきて学校に押し込んだ。子どものレベルから教育を施し、それが大人へと伝わっていくことを目論んでいたのである。しかし、インディオの経済基盤を確保せずに混血を勧め、文化を押しつけたために混血児やインディオが生活出来なくなるという弊害が現れることになったのだ。そして、ヨーロッパからの疫病や、虐殺などによってインディオ自体の数が減ってしまったのである。そのため、インディオに代わって黒人奴隷が投入されるようになったのだ。

インディオの代わりとしてプランテーションに投入された黒人は、牛の育て方や乳製品の扱いを知っているなど、文化的な面でインディオよりも進んでいたことで、数多く奴隷としてつれてこられた。しかし、アフリカ各地で捉えられた黒人が全て農業に向いていたわけではなく、ギニアからの奴隷はむしろ農業には向かず、スーダン系の奴隷はポルトガル文化に反感を持ち反乱(マレーの反乱)を起こした。イスラム教を信仰していた教養あるアフリカ人も、やはりカトリックの教えを信仰する白人に反発をもったのである。黒人奴隷もやはりインディオの奴隷と同じ道をたどり、男性は労働力として、女性は性的搾取の対象として扱われた。黒人女性は家事を行ったり、白人の子どもに乳を与えて育てたり、言葉を教えたりする一方で、農園の主の妾として働いた。そのため、黒人は白人の異常な性愛と家庭生活に強く影響したのだ。

白人女性にとって黒人奴隷は唯一の理解者であった

大農園の家父長制や奴隷制は、支配階級にある白人達に倒錯した性生活を与えた。若い頃から性的な関係を持ち、親が子に金を渡してでも女を抱かせ、次々と奴隷に手を出していったことで性病が広まり、一方で性病を治すには若い処女とセックスすることが一番の治療であるという迷信まで広まった。そういった理由から瞬く間に性病が広まり、奇形児が誕生するなどの弊害が生まれた。奴隷制の主従関係はまた、白人にサディズムを植え付けるという効果をもたらした。白人の子どもに与えられた奴隷の遊び相手は、殴られるだけのサンドバッグのようであり、そこからはぐくまれたサディズムは、時に黒人に対しての不条理な行為となった。サディズムに関しては、社会に出ていく機会がある男性は、自分の行為が持つ間違いに気付く機会を持つことが出来たが、農園の中で守られて育った白人女性にはその間違いを知る機会がなく、時に残虐な行為を行うこともあった。しかし、白人女性にとって常に世話をしてくれる黒人奴隷は唯一の理解者でもあり、時には駆け落ちの手助けをすることもあった。黒人奴隷は労働力でもあったが、同時に資産でもあった。結婚するときには嫁入り道具と共に送られることもあったのである。

黒人奴隷の乳母に育てられ、黒人の乳を飲んだ白人の中には、黒人の女性しか愛せない者が出てくるなど、黒人はいろいろ奈部分で影響を与えた。ポルトガルから伝わってきた子守唄に、詩情豊かな黒人の脚色が入り様々に変化したり、ポルトガル語が上手くない黒人が言葉を教えたために、言葉が柔らかく幼児化した。ブラジルのポルトガル語がポルトガル本国のものと異なっているのはこのためである。また、料理の面においても黒人は様々な影響を残し、ペルナンブーコ、バイーア、マラニョンなどは黒人文化の影響がある食べ物が残っている。その中でも特にバイーアのカルルーやバタパーなどは有名である。

奴隷解放後の黒人に協会や政府は十分な保証を与えなかった。貧しい黒人はスラムを作りそこに住むしか無かったのである。支配層にあった白人は奴隷制を廃止した先のことをかんがえ、廃止後も黒人よりも優位に立てることを計算していたに違いないだろう。最も人種混合が進んでいると言えるブラジルにおいても、白人と黒人の間に溝はある。それは、日常生活の中では見えない所にあるが、無意識のうちに奴隷制の上下関係や黒人の貧しさといったステロタイプを想起するためであるだろう。

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